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声優養成所ストーリー
Story

声の俳優 樋口あかり
声優養成所時代のストーリー

2度目に通った声優養成所
〜新世界編〜

始めて通った声優養成所
〜老舗のスパルタ教育〜

2度目に通った声優養成所/
新世界編

【Story:1】

さて、今回は新世界編です。
何故「新世界」と銘打ったかというと。
最初に通った声優養成所「勝田声優学院」とは、ほぼ真逆の教育方針だったなぁと思ったからです。
勝田声優学院の次に私が選んだのは、「俳協ボイスアクターズスタジオ」でした。

サザエさんのフネさんの声を担当している「麻生美代子」さんや、銀河鉄道999の「メーテル」を担当した「池田昌子」さん、機動戦士ガンダムの「シャァ・アズナブル」の「池田秀一」さん、ルパン三世の「次元」を今も担当されている「小林清志」さん、「おっはー!」でお馴染み、山寺宏一さん etc…(※山寺さんは現在「アクロスエンタテインメント」に所属)

上記のような、声優業界で有名なベテランさんがたくさん名を連ねる、「東京俳優生活協同組合」という事務所の、付属養成所です。

選んだ理由はズバリ。
「たった半年で結果が出る」ということと、単純に「費用が安い」から。この2つでした。
(そう、この養成所の養成期間は基本半年です。詳細は次回!)

勝田を退学した後、私はしばらくフラフラ遊んで暮らしていたのですが、やはり私は、芝居をしていないと苦しい。
毎日が苦しい。
芝居をしないで生きる人生なんてあり得ない。
そんな発作的な感情から一念発起、再びアルバイトでお金を貯め、もう一度声優への道を歩きはじめたのです。
(フラフラしていた時期(葛藤期)については、またいつか書こうと思っています)

さて。

晴れてお金も貯まり、勝田を辞めてから約4年後。
俳協ボイスアクターズスタジオの第21期に応募した私は、「これでダメだったら声優をキッパリ諦めよう」と思っていました。
2つ目の養成所で、すでにそんな決意をしたわけです(笑)
この短期間の賭けに勝てるかどうか。
負ければ潔く手を引くんだぞ、と。
そう自分に言い聞かせながら、入学試験までの日々を過ごしました。

そして、入学試験の案内状が届きました。
なんと受験番号は1番(笑)
縁起よすぎるやろー!(∩´∀`)∩ワーイ

今思えばこの「1番」というのが、すでに私の運命を決定付けていたのかもしれません。

そんなことを微塵も考えることなく、ただただ「わーい1番1番♪」とうかれポンチ状態のまま、試験当日を迎えるのでした…。

【Story:2】

俳協ボイスアクターズスタジオ(第21期)の入所試験。

私の記憶では、軽い自己紹介(1分間ほど)と、渡された紙1枚(原稿?)を読んだように思います。
紙に書かれていたのは、セリフだったかナレーションだったか…
記憶が非常に曖昧なのですが、10~15人ずつくらいをひとまとめにして、端から順に一人づつ、事務的に番が回っていったように思います。
(なにせ10年ほど前の話なものでご容赦を/笑)
↑もし試験内容などを詳しく知りたい方は、ググってみてください。
情報が、それはもう山のように出てきます。

どこの養成所もそうだと思いますが、一番最初の試験というのは、非常に大きな、めっちゃくちゃ大きな、しかも網目の細か〜〜い「ふるい」のようなものです。
最初の養成所の記事にも書いたことなのですが、こんな、落ちる隙間のほとんどない大きなふるいから落ちてしまうようではお話になりません(キッパリ)
たった2~3分という非常に短い時間ですが、そこで瞬間的に自分の能力を発揮することができないという時点でアウトです。
厳しいことを書いていますが、本当のことなのです。 さて、その大きなふるいにしがみつき、めでたく網目の上に残った私は、晴れて俳協ボイスアクターズの授業を受けることに。
私のクラスの先生は、あの「奥様は魔女」のナレーションでお馴染み、大御所の「中村正」さんでした。
あの勝田学院長とほぼ同年代の方です。
他のクラスは若い先生ばかりで、実は先生によって、授業内容が異なるんです。 さて、中村先生の授業内容。
それは。 た だ ひ た す ら 「 ご ん ぎ つ ね 」 を 朗 読 す る 。 こ れ だ け で す(爆)

そう、あの小学校の国語の教科書に出てくる、有名な著・新美南吉の児童文学です。

入学時に購入する教材(本)がありまして、その中にこの作品(朗読)が入っているんですね。
この本の中には、俳優に大事な心得やノウハウなども、細かく丁寧に書かれています。
一番最初の授業では、先生がこれを声に出して読んでくださり、一通り大事なことを教えてくださったのですが、あとはぜーーーーんぶ「ごんぎつね」の朗読(笑)
(※ 途中、気分転換を図るためなのか何なのか、詩をちょこっとだけ読みました。しかも群読)

私のクラスは20人くらいいたのですが、毎回一人づつ、端から順番にごんぎつねを読んでリレーしていくのです。
ごくたまに先生がアドバイスをしてくださるのですが、先生は決して生徒を否定しません。
良いところを指摘して自覚させ、それを伸ばすように指導する。

ここが、勝田声優学院とは真逆なところ。
あそこだったら必ずダメを出されるであろうパターンなのに、そこから無理にでも良いところを見つけ出す。
「そうくるならこうした方がいいんじゃない?」と、具体的な指示を出してくれる。

ちなみに、読み方がイマイチな生徒に対しては何も言わずに、次の人を促しました。なんとも分かりやすい(笑)
言い方は悪いですが、一定の基準に達していない者にはもはや何も言うことはないという意味なのでしょう。
もしくは、ただ単に面倒くさいと思っていらっしゃったのか(笑)
それが伝わったのか、そのイマイチな生徒たちは、「絶対、先生にアドバイスを貰えるようになってみせる!」
と意気込んでいました。

そして先生は、ごくごくたまーに、授業中に船を漕いでいらっしゃいました(笑)
ぇ逆…じゃね…??(; ゚д゚) (←生徒が船漕ぐのなら分かるけどw)
とか思いつつも生徒の方は「いっちょ自分の朗読で起こしてやろう!」と意気込む。
まぁ今思えば、お仕事で疲れていらしたのでしょう。
そんな面白場面に遭遇することも多々あり、表面はユルイけれども実は厳しい、俳協ボイスアクターズスタジオの養成所の日々が過ぎていったのでした。

(※勝田声優学院では、自分のダメなところを知り、俳協では、自分の良いところを知りました。両方を勉強することができたのは、とても良かったと思います。)

ちなみに他のクラスでは、うちとは全然違う授業内容が展開されていたことを、しばらくたってから知りました。

他のクラスでは、自己紹介やセリフ読み・ナレーション等のスキルアップを中心に展開されていたようで、しかも、それぞれの生徒に自分に合ったもの(セリフorナレーションor朗読etc…)をそれぞれ用意させ、生徒の良さを最大限に引き出す手助けをしてくれていたそうです。

そう。
それは全て、半年後の進級試験に臨むためのものだったのです。
半年後の試験では、次の半年間の養成機関に上がれるかどうかの査定が行われます。その査定で、自分がどれだけ即戦力になれるかということを示さなければなりません。
他のクラスの生徒たちは、かなり早い段階でそれを知っていました。
私達も、半年後に試験があること自体は承知してはいましたが、その試験に受かりやすくなる為のノウハウなどは、一切教えられていませんでした。

他クラスの生徒達がどんどん先を走っていく中、ただひたすらごんぎつねを読んでいた私たちの運命は…..!?

どうなる進級試験!
乞うご期待(笑)

【Story:3】

俳協ボイス・アクターズスタジオに入学してから半年後の査定までの間、ひたすら「ごんぎつね」の朗読に明け暮れていた私たち。
他のクラスとの差をひしひしと感じながらも、やれるだけのことはやろうと、みんなそれぞれ必死で頑張っていました。
私も、「先生や授業だけに頼ってはいけない。自分でなんとかしなければ道は開けないんだ」ということを、この頃からなんとなく感じ始めていました。
そして、他人(他クラス)を羨む暇があるのなら、少しでもできることをやって、悔いのないようにしたい。
同じクラスの仲が良かった子たちとそう言い合って、共に励まし合ったこともありました。

そう。
ごんぎつねしかやっていないからって、不利になるとは限らない。
出される課題は全クラス共通。
決して不公平というわけではないのだから、とにかく自分を信じろと。
選ばれるだけの力を持っているのならば、必ず先に進めるはずだと。
今思えばこの時期は、メンタルが強化されたような気がします。
勝田声優学院でもかなり強化されましたが、あそこでは基本となる「屈強な(なにくそ)精神力」、こちら(俳協)では、先に進むための「柔軟な(なるようになる)精神力」を学びました。
そして訪れた査定の日。
この半年後の査定を通過すると、次の段階・後半の半年間の養成機関に上がることになります。
ちなみに後半の授業はなんと無料。
したがって、うまくいけば最初の入学時に支払った金額で、約1年間勉強が続けられるというわけです。
しかしこの査定。1回では終わりません。
まず一度大きなふるいにかけられ、その後すぐ(約一週間後?だったかな??あやふや御免)また更にふるいにかけられることとなります。
一度に2回も査定があるのは正直「(´゚д゚`)エー」と思いましたが、まぁあるものはしょうがないですよね。
ちなみに1回目の査定の課題ですが、内容は敢えて伏せます(笑)
課題内容はその都度変わるようなので。

でもひとつだけ。

私たちの時には「ごんぎつね」が課題のひとつに入っていました。ヤター!キタコレー!(笑)
無駄にならなくてほんとに良かったねと、クラスで喜び合ったのは今でも少し覚えています。
というか、もしかしたら今でも「ごんぎつね」は鉄板課題なのかな??
すみません、現在の確かな情報は分かりません…(´・ω・`)

そして、1回目の査定は終了。この時点で、いったん養成機関は終了します。
ここで落ちてしまった人は さよならbybyです(´・ω・`)
私はとりあえず通過できましたが、果たして、同じクラスの仲間は何人生き残ったんだろうか?(゚д゚;)
私はドキドキしながら、次の査定の日を待つこととなりました。
ちなみに次の査定の課題は当日発表。自分の得意分野が出るか不得意分野が出るか。
その場で課題を手にするまでは、一切分からないのです。。。

【Story:4】

とりあえずここまでの流れは…。

1:俳協ボイスアクターズスタジオの入学試験を受けて合格
2:約半年間の授業を経て、次の半年間の授業を受けるための切符を手に入れるべく、査定その①を受けて合格

でしたね。

さて、いよいよ査定その②です。

この査定②は、アクターズスタジオ内ではなく、俳協の事務所で行われました。
そう、声優・俳優・マネージャーさん達が集う仕事の拠点、本部です。
正直かなり緊張しました。
本物のプロが出入りしている場所で、しかも課題は当日渡し。
場所も初めてなら、原稿内容を見るのも初めて。
審査員さんも知らない方ばかりです。
なにもかもが初めてだらけの中で、しかも、各クラスから選抜されてきた強敵たちと闘うわけです。
そんな状況で、どれだけ自分の力を発揮できるか。
入学試験の時と比べると、あきらかにハードルが上がっているのを実感しました。
(まず試験場(事務所)に辿り着けるかどうかが心配でした…)

そして査定②の内容はというと。

短いCMナレーションでした。
あと他にも1つか2つありましたが、どれを読むか自分で選べたんだっけかな??確か。ん? 全部読んだっけかな?? んぁ〜〜〜…(´゚д゚`)

お も い だ せ な い 。 とにかく、短いナレーションを読んだのは覚えています。
なんだかあっさり終わってしまって、ほとんど記憶に残っていないんですね。
その時の記憶をなんとか引っ張りだそうとしても、浮かんでくるのは、ごんぎつねの原稿に落書きしてた絵とか、船を漕いでる先生の姿ばかりで(笑)
人間って、どうでもいいことばかりを覚えているものですよね。

さて。
気になるのは、査定②を受けた人数だと思いますが…

ゴメンナサイ。実はこれも、はっきりとは分かりません(´・ω・`)
ですが確か、2回か3回に分けて行われていたような気が。
そして、私が受けた回は約15、6人くらいいたように記憶しています。
1回がこの人数だとして、もし2回、あるいは3回に分けていたとするならば、15×2=30/15×3=45で、およそ30人〜45人くらいが残っていたということになります。

もうね。さっきから頼りない記憶ばっかりでほんとゴメンナサイねorz

そして、この査定が終わった数日後。
めでたく合格連絡を頂き、晴れて後半の半年間の授業(無料!)に参加できることになりました。(この後半の授業は俳協の事務所で行われます)

合格者は、私を含め全部で12人でした。

そ し て な ん と こ の 中 に 。 実は、私と同じクラスだったN君がいたのです!!
私とは別の回に来ていたんですね!

結局クラスの中で生き残ったのは、私とN君の2人だけでした。

そういえば、はっきり覚えていることがあります。
クラスで仲の良かった友達が査定①に落ちた時、受かった私にわざわざ電話をくれたんです。

「そっかー、アンタはやっぱり受かったんだね!まぁアンタがいれば、アタシは要らないよ!ハハハ!」

と、なんともカラッとした声でスパっとおめでとうを言ってくれまして。
元々サバサバした人だったわけですが、声がいつもよりも更に明るく聞こえ、それが逆に、とっても切なかったんですよね。
その声をね、今でも時々思い出すんです。
ふとした時に。

そんな時に必ず思い出すのが、北斗の挙のED「「SILENT SURVIVOR」。
あの強敵(と書いて「とも」と読む)たちの姿が、前に向かって進んでいくケンの後ろにスーーッと現れて消えていく画、あったでしょう?(知ってますか?( ゚д゚))
勝田声優学院に入学した頃から考えてみると、実に色んな強敵(とも)と出会い、闘い、そして通り過ぎていったなぁ…と。
ケンシロウと自分を重ねて、物思いに耽るんですよ(笑)

だ が し か し 。 まだまだプロへの道は遠い。
まだスタートラインにすら立っていない状態です。
後半の授業への切符を手に入れたからといって、現場に立てるわけではない。
次の査定は半年後。
これが、一番最後の査定となります。
その査定の結果によって、俳協に所属できるかどうかが決まるのです。

最終的に闘うのは12人。
これは、当時俳協ボイスアクターズ史上、最大の人数だったそうです。
(それまでは、多くて7人・少なくて4人・あるいは0人の時もあったそう。)
そんな過去最大の競争率の中で、私とN君は果たして勝ち抜くことができるのか!? そして、授業の初日に樋口を襲った笑撃(←)の出来事とは!?

次回、「2度目に通った養成所/新世界編」第5回
〜新たなる強敵(とも)たち(四コマ漫画付き) お楽しみに!

【Story:5】

あまりにも記憶が曖昧なので。

つい先日、例の生き残り「N君」に会ってきました(笑)
当時の記憶を一緒に掘り返してもらうためです。
(N君とは今でも交流があり、たまに飲んでいます) N君は昔とちっとも変わらず、「鉄砲玉」って言葉が服着て歩いているようなヤツでした(笑)
でもね、とっても素直だし繊細だし、熱いハートを持った野郎なのです。
ちょっと敵を作りやすいタイプではあるけれど、一度信頼した相手にはとことん尽くすタイプ。
ヤクザ映画のチンピラ役とかもうぴったりでしょうね。
「兄貴!やっちまおうぜ!!(息荒)」みたいなセリフを言わせたら、右に出る者はあんまりいないと思います。 さて、N君の人柄についてはここまでにしておきます(笑)

そのN君。
実はものすごく記憶力のいい人だったんです!
私がこの記事を書き始めてから「確か〜」とか「私の記憶では〜」とか、実に曖昧な言葉ばかりで綴っていた内容を、彼はほぼ全て、きちんと覚えていたのです…!(驚)

少し遡ることになりますが、またちょっと整理します。

一番最初の段階で受験した人数(受験者総数)について。
これは、N君が養成所の人(当時の教務さん?)に聞いたらしいのですが、軽く300人を超えていたそうです。(毎年これくらいいるらしい!?)
そこから入所試験で 100人 くらいに絞られ、半年後の試験で、(※ 前回の記事で、半年後の試験(その2)は2班に分けられていたかも?と書きましたが、N君いわく、どうやら3班あったようです。そうなると全部で 40〜50人 くらいになりますね。)
そして最終的に 12人 に絞られたということになります。

人数の推移が分かりやすいように、赤字にしてみました。

こうして改めて見ると、ものすごい勢いでふるいにかけられていますね(笑)
よく、「このサバイバルゲームを勝ち抜くコツは何ですか?」と聞かれることがありますが、簡単に言うと、

「自分のやるべきことをきっちりやる」 この一言に尽きると思います。

これはプロになってからも同じですね。嫉妬や人の足を引っ張るなどもってのほか。
他人(ライバル)に意識を向ける前に、まず自分に向けることが大切です。
今の自分に足らないものは何なのか。
自分のレベルを上げるためには何を考え、何をすればいいのか。常にそれを考えること。

そして、後半の授業は始まった。

300人強の中から生き残った、12人の卵たち。
またしてもN君の記憶に頼りましたが、この時、男性が4〜5人、あとの6〜7人は全て女性でした。
なぜ「〜」などと曖昧に言うかといえば…
ど〜〜〜うしても!思い出せない人が2人ほど!いたからなのです…orz
記憶力抜群のN君でも思い出せないのですから、私が思い出せるわけがない(笑)

でも、2人の記憶に残っている共通の強敵(とも)がいました。

・静岡から毎週新幹線で通ってきていた(←!)、ナルシスト系のぼっちゃん。
・日本酒がやたらめったら強い、背の高い素敵女子。
・サザエさんみたな髪型をした、小柄で明るいおしゃべり好きな女子。
・すごく面白いネタを考えてくるのに、芝居のレベルが壊滅的にアレな男の子。

まぁ〜〜ほんとに色んなキャラクターがいて、ほとんど誰も被っていなかったように思います(笑)
そんな個性が豊かすぎる「ボイス21期」の面々。
ここで果たして私は勝ち抜けるのだろうか!?と、内心戦々恐々としていたわけなのですがそんなことよりも!
もっと気になることがあったのです。
それは…

がんめん編

ちょっと文字が見にくいですね!(´Д⊂ヽ
「樋口の仮面」ページに飛んで見て頂きますと、解説も載っておりますので分かりやすいかと思います。

…もうね。事務所の人達も12人の強敵(とも)たちも、新しい先生も、誰も私の顔に対して一切!突っ込まないんです。
おかしい…。
おかしい…!
わたしがおかしいのか?
もう何がおかしいのか分からない…

別の意味で戦々恐々としていた樋口なのでした…。

ちなみにN君にこのことを話しましたが、N君は「へぁ?そうだっけー??」と( ゚д゚)ポカーンて答えてて、全然覚えていないようでした。

私が思ったほど、周りは気にならなかったのかも….?
しれません…?(´・ω・`)

次回!「最終オーディションに向けて」

後半の授業では、先生が2人いました。
ナレーションの基礎を教えてくれた先生(男性)と、洋画のアテレコの基礎を教えてくれた先生(女性)です。
その詳細についてもまた、N君の記憶に頼っています(笑)

次回、乞うご期待!

【Story:6】

<ナレーションと朗読>

俳協ボイスアクターズ、後半戦の授業内容は、主にナレーション・朗読・アテレコ実習の三本立てのような感じでした。
(時には、自己紹介や他己紹介、コミュニケーションゲームなども含まれたりしていました。)

面白かったのは、自分の書いた作文を他人が読む、という授業。
作文の内容(課題)については敢えて伏せますが、自分が書いたものを、他人がどのように読み取りそして想像し、どのように表現してくれるのか。
それぞれの捉え方や読み方で、内容の雰囲気も変わってきます。
自分の思った通りに表現してもらえた人、まったく違う方向で表現された人、ほんとに様々で、とっても面白かった。

これは、ナレーションや朗読などで、書いてある文章をどれだけ正確に読み取ることができるかという練習ですね。
あるいは、表現のパターンがどれだけあるのかを探る、というのもあります。

普通ならみんなが1つの課題をやるところなのでしょうけれど、みんなの作文を使って、というのが素敵な発想だと思いました(・∀・)

<アテレコ実習>

ナレーション等と平行して、洋画のアテレコ実習も行われていました。
(※ これは、私たち21期生の代から新たに加えられた授業だそうです。ラッキーでした)

現場に行ったら守らなければならないルールや、挨拶の仕方、新人の座る場所等、実際の仕事場の雰囲気についても併せて教わりました。

最初の入所試験からここまできてようやく、実際の現場についての詳細がクリアに見えてきたわけです。

アテレコ実習の詳しい内容はこれまた敢えて伏せますが、あるひとつの作品を取り上げて、2班に分けてダブルキャストで稽古していくというものでした。

アテレコを担当してくださった先生はもうほんとにほんっっとに優しくて、頭から怒ったり、感情的なダメ出しは絶対しないんですね。
ちゃんとそれぞれの良いところを最初に言ってくれて、その後で「もう少し◯ ◯するといいかもよ?」となにげなく付け加えたり。

「先生、◯ ◯君の◯ ◯(役名)、ハートがあって好きだなー(^-^)」

なんて言ってくれることもありました。
ほんと優しい。

あ、言っておきますが、実際の現場にはこんなに優しい人(演出家さん)はいません(キッパリ)。
先方はお金を払って役者(声優)を雇うわけですから、先方から要求されたことにキッチリ応えることができないといけないのは当然。
できて当然のことがもしできなければ、もう次(の仕事)はありません。

さて戻りましょうヽ(°▽、°)ノ

そのアテレコ実習には「仕上げ」がありまして、一番最後の授業で、実際のスタジオを使った本番さながらの練習日がありました。

その日には、普段からディレクターとしてお仕事をされている方が来てくださって、実際の現場と同じような感じで収録が進められていきました。

その最中、マネージャーや現役の先輩たちが、見学という名目で私たちを見にいらっしゃっていました。
それは、演出家さんのダメ出しにどれだけ的確に・そして素早く応えられるか、マイク前での動き方や、出番のない時の佇まい、周囲への気配りetc…

そんな、「この子たちは実際の現場に出ても通用するだろうか?」という観点から、色々と観察(ジャッジ)するために来てくれていたのです。

ですからこの時点で、すでに現場に出られるレベルであることが求められます。
養成所に入ってからたったの1年弱で、このレベルまで上りつめなければいけないということです。

初心者には到底無理な話しですよね(-_-;)
元から北島マヤや姫川亜弓レベルでないかぎり(笑)

<そして最終オーディション>

アテレコの授業は上記のスタジオ実習で終了となりましたが、さぁ!ついにやってきた、ほんとにほんとの最終審査です!

最終審査の課題は1人あたり3〜5分間で、自分の得意なものを披露するというものでした。要は自己PRですね。
「私は有能です!買ったら絶対役に立ちますよ!買ってください!」と市場で叩き売る。
そんなイメージ(笑)

さて、その市場で売るモノを何にするかが問題です。
はて、その売り物を何にしたらいいだろうか?
何を売れば、オーディションに受かるだろうか?

みんなそれぞれ、この先自分が仕事としてやりたいもの(ナレーション・アニメ・外画等)を題材として選んでいくのですが、そこで先生が、一緒に考えたりジャッジしたりしてくれるんですね(・∀・)/

その先生は、ナレーション&朗読を中心に教えてくれた方でした。
どの分野だったらこの子の個性が一番発揮できるか。
逆に、この子が狙わない方がいい分野は何なのか。

そういった視点から様々なアドバイスをしてくださるのですが、もちろん、自分達で内容を決めることが基本なので、頭から否定したりはしません。

「それをやりたいならこうしたらどうだろうか?」
「それを持ってくるならこう演出してみたらどうだろうか?」
と、常に生徒に寄り添った指導をしてくださいました。

さて、ここでみなさん、覚えていらっしゃいますでしょうか? このシリーズの第2回に書かれていた内容を。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちなみに他のクラスでは、うちとは全然違う授業内容が展開されていたことを、しばらくたってから知りました。
他のクラスでは、自己紹介やセリフ読み、ナレーション等のスキルアップを中心に展開されていたようで、しかも、それぞれの生徒に自分に合ったもの(セリフorナレーションor朗読etc…)をそれぞれ用意させ、生徒の良さを最大限に引き出す手助けをしていたそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

はい。ここに繋がってくるんですね〜(笑) 上記の「他のクラス」の人たちはすでに、この最終試験を見越した指導を、最初から受けていたということなんです。

そんなの不公平じゃーーん!(。◕ˇε ˇ◕。) と、思われるかもしれません。
ですが、この業界は公平ではありません。不公平なんて当たり前なのです。
不公平だーなんて言ってても、なんにも始まりません。なんにも前に進みません。

それに、 どれだけ不利な状況であろうとも、努力次第でそれを覆すことは、不可能ではない のです。

さて。長くなってきましたので今回はこの辺でm(_ _)m

それでは次回、ついに最終回!
新世界編・最終回『そして現場へ. . .』 ←ドラクエw

お楽しみに!

【Story:最終話(前編)】

ついに最終話(前編)です。
ごめんなさい、ちょっと長いかな?と思ったので2つ(前後編)に分けました。

ボイスアクターズスタジオに入所してから早一年。
ついに最終審査の日がやってきました。
この審査の結果で全てが決まる!
私のこれまでの人生の全ては、この日の為にあったといっても過言ではありません。

あ、ちょっと大げさかなヽ(°▽、°)ノ

でもまぁ、今までで最大の「人生の岐路」に立たされていたわけです。
なにしろ、落ちたら声優になるのを諦めるつもりでいましたから。

これまでほんっと芝居しかしてこなかったし、他に興味が持てるものなんぞなーんにもないのに

「もし落ちたらどーすんだお前( ̄д ̄)」
とか自分で自分にプレッシャーかけてましたが、
「そんなもん落ちてから考えるぉ( ゚д゚)」
と、もう一人の自分があっけらかんと答えていました。
やる前から心配したって何の得もないし、意味もない(キッパリ)
最終審査までの間は、こうやって自己対話をひたすら繰り返していました(笑)
焦る自分と、それを諌める自分との闘いです。

他のライバル達はどうだったのかな?
今となっては知る由もなく(´・ω・`)

…が、例のN君からは聞くことができました!
話の流れの関係で、これは後編にてご紹介しますね。

どうぞお楽しみに。

さて!
ちょっと前置きが長くなりましたが、いよいよ最終審査の日です。

審査対象は全部で12名。
過去の記事でも書きましたが、過去最多人数です。
そして、何名が所属を勝ち取ることができるのかは、全く分かりません。
そもそも、ウルトラクイズのように通過できる人数が決まっていないのです。
もしかしたら全員所属になるかもしれないし、逆に、全員が落ちるかもしれません。
こうなってくると、もうほとんど運否天賦ですね。

これは毎年そうなのです。

しかし、運だけに頼ってなんとかなるものでは決してありません。
その運を掴めるだけの、最低限の力を持っていないといけない。
その最低限の力というのは、
「このまま現場に出してもとりあえず何とかなるんじゃないか?」
と思ってもらえるくらいのレベルに達していることではないかな?と、私は思います。

当日の一人あたりの持ち時間は、約5分程度。(あ、もう少しあったのかな??7分くらい?あやふや御免)

これまでの授業で研究してきた「自分の売り」を最大限に活かして詰め込んだものを、各々完成させてきました。
もちろん、自分(商品)を良く見せるための衣装も各自でチョイス。

正直私、衣装が一番困りました。゚(゚´Д`゚)゚。

自分が「こう見せたい」と思っている姿と、実際衣装を着た時の自分の姿、ちゃんとマッチしているだろうか?大幅にズレてはいないだろうか?と、結構悩みましたね(笑)お金に余裕がないから凝ったものにはできないし。

それに、これまで外見にはあまり拘ってこなかったこともあり、ここに来て初めて、服選びというものを慎重に考えたような気がします。
稽古ばっかり一生懸命で、見た目には一切気を使わない。
ダメな声優志望者の典型ですね(笑)

で!
当日の私の服装はというと。
・タンクトップに近い型の白ピタTシャツ
・お気に入りの足長デニム
・ヒールの高いサンダル(サンダルじゃなくて靴(ブーツ)だったかも?)
・テンガロンハット
でした。

慎重に選んだわりに…..( ´_ゝ`)エート…
てか、このクソ寒い時期に真夏の格好するとか(笑)
3月でしたから、まだまだ寒い季節ですよ。

でもね、やっぱり薄着だと痩せて見えますし(自分は着太りするタイプだと分かっていたから)、高いヒールで足長に見せて、小さめのTシャツでさらにウエストも強調してみたりしたわけです。

「オシャレは我慢」という言葉が身に染みた日でしたね。
今考えれば全然オシャレじゃなかったですけど、この時はこれが精一杯。

そして肝心のアピール内容は…

こ れ だ ↓

・自己紹介(1分弱)
・セリフの掛け合い(男の子キャラ✕2)
・映画の番宣ナレーション(子供向けアクション映画)
・朗読&セリフ(ある小説(王宮もの)の一節を読みました)
※ 間にフリートークを挟んで各項目を繋いでいく形

さて、お分かり頂けただろうか?

そう。
なんと、ナレーションが1つしか入っていない!(笑)

というのも、私の一番の売りは「芝居ができます!」ということだったので、とにかくセリフを多めにする方向に持っていきました。

そう。
ぶっちゃけナレーションにはあまり興味がなかったということもあり、セリフ系以外はほぼ切り捨て状態(どーん)
最後に披露した朗読の中身もほとんどがセリフの掛け合いでして、自分が一番得意とする「緊迫感」のある場面をチョイス。
(ある架空の国で起こった謀反の場面/女王・公主・兵士の3人の掛け合いでした)

そう。
とことん自分の得意分野しか入れなかったのです。

「もしかしたらこれがイケるかも…?」なんていう実験的なものはナシ。

しかし、これはあくまで私の場合です。(あまり参考になさらぬよう)
他のみんなは、ナレーションもセリフもバランス良く取り入れていたように記憶しています。
やはり、色々できます!というアピールをしておきたいという思いは、誰しもありますよね。(※ 中には私とは正反対の、ナレーション重視の人もいましたよ)

私も、もう少し持ち時間があったとしたら、あと一つくらいナレーションを入れたかったところですが、残念ながら時間オーバーはNG。

それに、自分で言うのもアレですが、色々できるという自信はありました。
というか、自分の用意した内容で十分それは伝わるだろうと踏んだのです。
なにより、とにかく「芝居がやりたい!芝居が好きだ!芝居をやらせてくれ!」というアピールを最優先にしたかった。

だって、そのためにここまで駒を進めてきたのだから!

とにかく後悔したくなかった。
自分のやりたいこと(※ あくまで商品として成り立つレベルのこと)をやりたいように120%やりきる。
審査員の評価なんてもうどうでもいい。
そんな心持ちで挑んだ、この最終審査。
自分の出番が終わった後の爽快感といったらもう!(笑)
この時の爽快感を、今でもはっきりと覚えています。

レベルはどうあれ、持てる力は全て出しきった!
やりたいこともやった!
これでもう、私にできることは何もない!!(パァァッ…!/爽)

この、なりふり構わずの特攻姿勢のおかげで、「これで落ちても悔いはない」と、すんなり思えるようになりました。

あ。
ちなみにこの最終審査は、事務所ではなくボイスアクターズの稽古場で行われました。
なにせ人数が多かったですからね。
そして当日観に来ていたのは、マネージャーさんが数人と、俳協の先輩方が何人かちらほら。
この日、ギャラリーは意外と少なかったように記憶しています。
あとははっきりとは覚えていません。
ただただ寒かったことだけは強く記憶に残っています(笑)
今後の人生を左右する日だったというのに、覚えていることがこれだけなんて。
記憶とは、時間とともに確実に薄れていくものなのですね…(´・ω・)

さぁ。
審査が終わったら、次は結果発表を残すのみ。

結果は後日、郵送で知らされるとのことでした。
郵送されてくるまでの期間はどれくらいだったかなぁ??
これまたよく覚えていません。

…というかですね、
私のところにはですね、

送 ら れ て こ な か っ た ん で す よ ね !(;゚Д゚)

ざわ. . .ざわ. . .

…ちょ、待っ、一体どういうことなんだっ!?(焦)
もしや忘れてんのっ!?(怒)
そんなに存在感なかった…!?(哀)
てゆーやっぱり落ちたのっ!!?(泣)
(↑ もう悔いはないとか言っておきながら結局振り回されてる)

色んな可能性が頭をよぎりました。
それで、とりあえず強敵(とも)たちに連絡して聞いてみたわけですよ。
結果は来てる?って。そしたら「来てる」って言うじゃないですか!?((;゚Д゚))

えーーーーー!!
な ん で 私 だ け 来 な い の !?


ざわ…. ざわ…. ざわ〜〜…..

ヒグチ:「おかしい….」(←カイジ風

Na:「 お か し い !!」

ヒグチ:「おかしいっ…」

Na「 お か し い !!」

ヒグチ「おかしいっっ…!!」

Na「おかしい!!だが!!どうしようもない!!!」

……それはもう、悶々としておりました。
他のみんなは続々と知らせが来てるのに、自分だけがまだ来てない。
ぐるぐるぐるぐる、たくさんの嫌な予感がめぐりました。
元来、私はネガティブな人間。

「あぁ、やっぱり私は華がなかったんだ…」とか、
「プロとしては認められない器…だったら、もう芝居なんかやめよう!」
「つーかそもそも挑戦したこと自体が間違いだったんだ…!」
そして最後には
「もう…いいや… 新しい仕事でも探そう….バイトじゃなくて、正社員に…」
と、魂が半分抜けたような状態で求人雑誌をぬるりと手にした

Na「 そ の 時 !!」

「 ヒ グ チ の 携 帯 電 話 が!!」

「 鳴 る !」

「 鳴 る!!」

「 鳴  る !  !  ! 」

ヒグチ「…..なにこれ?知らない番号….?(´゚д゚`)」

〜続く〜

【Story:最終話(後編)】

<知らない番号の正体>

最終話の後編、ラストです。

最終審査の結果がいつまでたっても郵送されて来ず、もうすっかり落ちたものと思い込んでどんよりしていた私のところに、突然かかってきた謎の発信元からの電話。

コール音が鳴り続ける中、しばらくその番号を凝視していましたが、相手が誰(何)なのか一向に思い当たらない。

何かの勧誘だろうか?
それとも借金の取り立て?いや借金はしてないよ。
携帯料金はこないだ払ったばっかだし家賃だって滞納はしてないはず…云々。
一瞬の間に色々考えて、結局私は、その電話を思い切って取ってみることにしました。

ヒグチ「はい…..(怪)もしもし……?」

謎の人「あっ、ヒグチさんの携帯でしょうか?こちら俳協ですけれども〜。おめでとうございます〜」

…….ファ?俳…..?

おめ…….?( ゚д゚)

….ぉおお

….おおおお!

お お お お お お っ っ !! そ、そうだったのかーーーーっ!!!

…そう。

[実は、郵送で知らされていたのは全て、不合格通知だったということを、私はこの時に初めて知ったのです。
合格の通知は、直接電話で知らされたんですね〜(驚)]

てか な  ん  だ  よ !!(ドンッ/叩

それならそうと事前に言ってくれよ!!
私がどんな思いでこの数日を過ごしたと思ってんだよ!!!
人生リセットしようと思ってたんだぞ!!クソッ!クソッ!クソッ!!(ドンッ、ドンッ、ドンッッ

…れ、…れ、連絡、ありがとう〜〜〜〜〜っ!!!(じゅわぁぁ〜/涙

Na「 僥倖!!圧倒的 僥倖!!!」

さらに驚いたことに、この期の合格者はなんと、 私、ただ1人。 12人中、たった1人だったのです。

最初の受験者数(300人強)から考えれば、結構な倍率を勝ち抜いたことになります。
ここでふと蘇る、入所試験の時の自分の受験番号。

「1」

この偶然。

この奇跡。

最後に生き残ったのは、1番最初に受験申し込みをしたこの1番の人。
たった1人だったわけです。
ここまでの人生の中で、自分の身にこんなミラクルなことが起こったのはこの時が初めてでした。
「自分はダメじゃない」という、ほのかな自信のようなものが、この時初めて、少しだけ持てたように思います。

生まれてからこれまでずっと、とことん自分に自信が持てなくて俯いていた私が、初めて自分から顔を上げることができた日だったように思います。
上京してからしばらくの間は、親に多少の金銭援助はしてもらっていたものの、それ以外は全て、自分の力で勝ち取ったわけです。

幼少期の泣いてばかりいた自分に、今の自分の姿を見せてやりたいと思いました。

「あんたはダメじゃない」と、その小さな肩を抱いてやりたいと思いました。

といっても、周りには私がそんな弱い人間には見えていなかったみたいですが(笑)
でも、心の中にいる「もう一人の私」は、昔となんら変わらない、とてもとても弱い人間です(´・ω・`)
その弱い自分を助けるために、今の強い自分が形成されたように思います。
強い自分をコツコツ作り上げていったのは、結局その弱い自分だったりするのですが、そんな自分を支えてくれた、同期や友達のおかげでもあります。
当時、私を支えてくれていた人達に、心からの感謝をm(_ _)m

あ。
なんだか少し逸れてきてしまいましたね(´゚д゚`)
すみません。

さて、ここでN君の話題を!(お待たせしました)

N君もね、結構私と似ているタイプだったのです。
自分に自信が持てない(笑)
審査前も、私とほとんど同じ思いを抱えていたようです。
以下、ついこの間もらったメールの文面をそのまま掲載します↓
(※ 本人了承済み)

—————————————-
最終審査の時は、「自分の人生をガラリと変える」という強い意識と、「やはり自分の人生は変わらないのだろう」という弱い意識の戦いがずっとありましたかな。
「受かりたい、プロになる」
「受かるわけ無い、所詮は素人」
そんな心持ちの繰り返しでしたね^_^
当日は「やってやる~!」って行ったのは良いけど、受かりたい気持ちに持っていかれて、緊張に飲まれ無難にこなしてしまったという現実(笑)
弱さに負けましたな~^_^
——————————————

やはりN君も、一生懸命自分と闘っていたんですね(´・ω・`)
審査が終わった後の飲み会では、びっくりするくらい落ち込んでました。
というか、落ち込みすぎて逆にハイになってましたね(笑)

私とN君だけでなく、おそらくあの最終審査に挑んだ12人全員が、必死で自分と闘っていたのではないかと思います。

私がTwitterでよく言っていることなのですが、そんな風に、 自分との闘いを永久に(仕事を辞めるその時まで)続けていくことが、=声優(というか芸能)の仕事なのではないのか な、と。

今の私はそう認識しています。

だ が し か し 。

この時の私はそんなことなど知る由もなく(笑)

「 未来は僕らの手の中ーーーヽ(`▽´)/ 」的な、浮かれポンチ状態だったのでした。

(これで全ての運を使い果たしてしまった….orz という思いもありましたがw)

<そして新たなるステージへ>

さて。
合格の連絡をもらったその後日。
改めて登録の手続きをしに、事務所へ挨拶に行った時のこと。

そこで偶然、審査を見に来てくれていたという先輩とお会いしました。

「初めまして!ボイス21期から上がってきました、樋口あかりと申します!」

事務所の一員としての初めての挨拶ということもあり、かなり緊張した面持ちで挨拶した後にフッと顔を上げると、 その先輩は満面の笑みを浮かべながら「あぁ、あの時の♪ 」と立ち止まり、そしてその後、こう言いました。

「どうも。地獄の一丁目へようこそ♡よろしくね ♪」

…….ファ?( ゚д゚) 

ジゴ…?

その後、会う人会う人が「地獄へようこそ(ハァト」と、まるで慣用句のように口にするではないですか。

地獄…だと….?ぇ、それどういう….(; ゚д゚)

ざわ….. ざわ…..ざわ〜〜…..!

ー こ こ か ら 数 年 後 。

その「地獄」の意味を、ヒグチは嫌というほど知ることになるのだが……

それはまた、別の、お話。

〜終わり〜

———————————————————-
<あとがき>
この記事で書かれた内容(養成所での試験や通知方法等)は、今(2017年)から10年以上前のものです。
業界自体も刻々と変化していますので、現在も同じことが行われているとは限りません。
ちなみに現在はクラスも増え、教える先生も増えている?模様。
そして、現在の試験内容などについては、一切分かりません。
よって、参考になさる際はほどほどに…(´・ω・`)
他人を参考にしすぎる(助けを求めすぎる)と、後々詰むことになる可能性大です(笑)
「自分をなんとかしてくれるのは、自分しかいない」
これに尽きると思います。
福本伸行氏の漫画「無頼伝 涯」を読むと、きっとそれがよく分かる(笑)
—————————————————

〜END〜

始めて通った声優養成所/
老舗のスパルタ教育

【Story:1】

私が声優になる為に上京してきたのは、今から約15年前。

数ある養成所の中から自分が選んだのは、知る人ぞ知る、「鉄腕アトム」のお茶の水博士の声をアテていた声優・勝田久(かつたひさし)氏が経営する養成所・「勝田声優学院」だった。

私がここを選んだ理由は、基礎からしっかりみっちり教えてもらえること、そして、実際に現場に出て活躍している役者が多数輩出されているという、確かな実績があったからだ。
実際ここの卒業生には、第一線で活躍している有名な先輩たちが多数存在する。

勝田声優学院というところは、とても親切な養成所である。
何がどう親切かと言うと。

入学した一番最初の段階で、向いていない人にはきちんと「向いてないから辞めなさい」と言うところだ。
そう言われてすぐに引っ込むようなタイプでは、到底業界では生きていけない。
われても尚、喰らい付いていくくらいの気概がないとやっていけない世界なのだという非常に大事なことを、しょっぱなからジワリと教えてくれるわけだ。
(早速次の日から来ない奴が出はじめるw)

最初の授業ではまず、業界の根本的なことを叩き込まれる。
勝田学院長は、ホワイトボードに「優勝劣敗」という文字を書き、それを指しながら「私達の業界は書いて字のごとくだ」と、ニコニコしながら話した。

クラスの中には、やる気満々でウザいくらいの人間もいれば、見るからにオドオドしている人間もいて。
さて、自分はこの中で果たして残っていけるのだろうかと。
考えていたところで、学院長が一言。

「一ヶ月も経てば、人数は3分の1くらい減ります」

へ、へぇ….(汗)

学院長は相変わらずニコニコしながら、手に持っていたテキストを開いた。

~続く~

【Story:2】

勝田声優学院は、1年目/基礎科・2年目/研究科というふうに分かれている。

基礎科の授業は勝田学院長が担当するのだが、その補佐のような形で、元卒業生の若い先生(男性)が、授業の一部を受け持っていた。

こ の 先 生 が 。
と に か く 厳 し か っ た 。


当時まだ30代前半くらいの若い先生だったのだが、生徒に対して容赦がなく、本気でぶつかってくるのである。

ダメな者には面と向かって「ダメ」と言う。

例えば滑舌がダメな生徒に。
「何言ってっか全然分かんねぇよ!」
「とにかく歯列矯正しな。そうしないといくら練習しても意味ねぇから」

※ 表情や容姿がだらしない生徒に。
「お前さぁ、服装なんとかしろよ。まずそのズボンがダメ。あと前髪も!」
「眉毛が細すぎるんだよ」

デキる者には「その程度か」とケツを叩く。

例えば宿題(外郎売/滑舌)を一日20回
やってます!という生徒に。
「成果出てねぇだろ。ただ口に出してるだけじゃダメなんだよ。」
「ふーん。○○(←先輩の名)は50回やってるってよ?」

(※→容姿などは声優修行に関係ないのでは?と思われる方もいると思うが、「容姿の良さ」というのは現在の声優業界では非常に大事なファクターなのである。)

それから滑舌と同じくらい大事なのが、標準語(アクセント)の完全習得である。
なので、地方出身者は皆、普段の会話から標準語を使うように指示される。

授業が終わった後、先生と飲み会に行く。
これはどこの養成所でもよくあることだろう。
だが、この先生と行くと、飲み会での会話も全て訓練の一部となる。
楽しく会話をしていても、不意にアクセントの違いを指摘されたり、「あ。今「れ」がスベった」等、滑舌のチェックも細かくされる。
まぁ普通に考えればたまったものではないが(笑)、私達は勉強をしに来ているのだ。
この指摘がほしくて飲み会に参加している者もいた。
(↑私)

また、「滑舌練習会」なるものもあった。
基礎科の授業とは別で、有志で集まってどこかの会議室を借り、3時間、ひたすら滑舌練習だけをやりまくるのだ。
ここにもその先生が来てくれていた。
この滑舌練習会はさすがに辛かった。
なにせ、聞き分けられないのだ。

「今「ま」が甘かった。「す」が言えてない。「ら」がスベった」

と先生が指摘するのだが、私の耳ではまったく分からない。

…え、普通に言えてたと思ったけど…
つかマジかよ…ここまでやる???(汗)

その時はそう思った(笑)
が、続けていくと分かるようになるのだ。
耳が鍛えられていく。
そして、最初は滑舌がボロボロだった生徒も、段々マシになってくる。
それはそうだ。
なんせ毎日のように、舌筋と顔の筋肉を鍛えているわけだから。

「滑舌は、やったらやった分だけ成果が出る。いつまでも言えねぇ奴はただの怠け者だよ」

「ただの怠け者」
↑その先生がしょっちゅう口にしていた言葉だった。

~続く~

【Story:3】

もちろん、勝田学院長も厳しかった。

生徒のほとんどは、大学生やフリーター、社会人になりたての20代前半の若者ばかりだったのだが(中には高校生もいた)、そんな中に一人か二人くらい、社会人経験を十分に積んだ、20代後半のサラリーマンなんかもいた。

そのサラリーマンは、夢を捨てきれず一念発起。
時間と金を作って仕事の合間を縫い、この学院に飛び込んできたのだが、お世辞にも芸が達者とは言えなかった。
滑舌の酷さもすさまじく、それゆえ、芝居もいまいちに聞こえてしまうのである。

そんなリーマン生徒に向かって学院長が一言。

「 な ぜ 君 は こ こ に 来 た の ? 」

リーマン生徒、固まる。
しばし間を置いた後、理由を真摯に語る。
しかし学院長はバッサリ返答。

「せっかく社会人として立派に働いてきたのに、わざわざ苦労してこんな世界に入ることはない。君はサラリーマンの方が向いているよ。さっさと辞めて元の生活に戻りなさい」

「そんな酷い!」と、思われる方もいるかもしれない。
が、学院長の真意は、将来のある若者に、自分に一番合った道を今一度きちんと考え、選んで歩んでほしいということなのである。

このリーマン生徒の他にも同じようなことを言われていた生徒がいた。
有名大学に在学中の生徒だった。

「君、せっかく素晴らしい大学で勉強しているのだから、そのまま就職すれば素晴らしい将来が約束されているだろうに、なぜここに来た?君は芝居よりも研究職の方が向いている。辞めなさい」

(注:今から15年前の話なので、社会情勢は多少違う)

学院長にそう言われ、実際辞めていった生徒もいた。
が、「なにくそ!」精神で学院に残る者もいた。
この学院長の言葉が、一番最初の「ふるい」というわけだ。
かなり大きな網目のふるいだが(笑)
そんな段階で落ちてしまうようでは、やはりこの世界には向いていない。
と同時に、辞めた生徒達は、懸命な選択をしたと思う。
向いていないのにいつまでも時間と金を無駄にするという、不毛な道を歩むことを、自ら断ち切ったのだから。

中には、「学院長はそう言うけれど自分は本当はもっとできるんだ!」という思いから、別の養成所に行く者もいた。

そうこうしているうちに三ヶ月が経った。
最初の入学時に学院長が言ったとおり、クラスの人数は、3分の2に減っていた。

~続く~

【Story:4】

学院に入って初めての夏休みが終わり、クラスの人数は入学当初の3分の2に減っていた。

授業が厳しいという理由もさることながら、やはりしばらく間が空いてしまうと、ついなまけ癖が出てしまい、毎日やっていた滑舌も、バイトや勉強が忙しいという理由から徐々にサボり始め、やがて学院に行くこと自体が嫌になるのである。

もちろん、中には本当にプライベートが忙しくなってしまい(例えば親が病気になってしまった等)、やむを得ず退学する者も、僅かながらいたのではないかと思う。
辞めてしまうと自然と疎遠になってしまう為、詳しい事情はあまり聞けなかった。

とにかくこの学院で一番厳しい(辛い)のは、自身との闘いを強いられまくることではないかと、私は思う。
常に他人(同期や先輩)と比べられ、自身のレベルの低さを毎回思い知らされるのである。

「まずは自分のダメさ加減を知ること」

これもしょっちゅう耳にした言葉だ。

皆、学院にくるまでは、とことん自身と向き合うなんていうことはなかったのではないかと思う。
小さい頃からわりと自身と向き合って生きてきた私でさえ、向き合い方が俄然甘かった、いや、甘すぎた(←角砂糖10kg分くらい)ことを思い知らされた。

「上には上がいる」

この学院内だけでも芝居の上手い人が何人もいるのに、現場に出たら、それ以上にスゴイ人達がもっとたくさんいて、いずれはそういう人達と同じ土俵で闘っていかなければならないのである。

学院長は、いつも芝居が上手い同期(あるいは先輩)のパフォーマンスをその場で見せ、
「ほら。君たちもせめてこれくらいはできないと、箸にも棒にもひっかからないよ?」
と、よく言った。

他人と比べる。

一般社会ではあまり良いこととされない場合が多いが、声優業界では当たり前のことなのである。
比べられて当然。

な に し ろ こ の 世 界 は
「 優 勝 劣 敗 」 な の だ か ら 。


優れている者が勝ち、劣っているものが負ける。

入学して初めての授業で学院長が言った言葉。
この言葉は今でも私の中でズッシリと生きている。

~続く~(次回、最終回)

【Story:最終話】

勝田声優学院では、いわゆる「アテレコ」の実習というものはほとんどない。

声優とはいっても「声の俳優」である。
だから、まずは芝居ができないことにはどうにもならない。
ということから、授業のほとんどは身体を使った舞台芝居の勉強に当てられる。

この点でも脱落者が出る。
養成所に入れば、マイク前で声優の気分が味わえると期待してやってきた生徒たちだ。

「自分は声優になりたいのであって、舞台役者になりたいわけではない」

このように言っていた生徒がいた。
これを聞いて、例の厳しい先生(その2参照)が

「 ふ  ざ  け  る  な 」

と、大激怒。

(そういえば、挨拶や返事がきちんとできない者にも喝を入れまくっていた)

まぁ生徒の言い分も分からなくはないが、しかし本気で声優になろうと思ったら、役者(演者)としての基礎勉強は避けては通れない。
残念ながらそれを理解することができず、学院を去っていった者もいた。

そして実は。
なにを隠そう。

私 も 
脱 落 者 の 
一 人 だ っ た の で あ る (ど~~~~ん)


私が学院を辞めたのは、上記のような理由ではなかった。
実は、学院長にも目をかけて頂き、↑の先生からも良い評価を頂いていた。
にも関わらず、何故辞めてしまったのか。

それは、私が「こうなりたい」という思いとは、全く逆のことを強いられたからである。
どういうことかというと。

私は当時から、強くて格好いい役者(声優)になりたいと思っていた。
が、学院長はひたすら私に(というか女子全員に)

「もっと高い声!とにかく高い声を出しなさい!そうすれば売れるんだから!もっと可愛く!」

と、指導をした。

私はこれが嫌で嫌でたまらなかった。

「なんで!?私のこの顔で、しかもこの声で萌え萌えしてたらおかしいべ!?ちゅーかぶりっ子芝居とかもうほんまに耐えられへんわ!!orz 」

毎日苦痛だった。

私はこのまま、アイドル声優を目指さなければならないのだろうか。自分がなりたいと思っている将来像には、辿り着けないのだろうか。
アイドルにならなきゃプロになれないんだったら、そんならもういっそのこと、

声 優 に な る の 、諦 め る!

. . . . と。
こういういきさつというわけ。

今考えると、なんとまぁくだらない理由だろう、と(笑)

学院長は、やがて来る(というかすでに来ていた)萌え萌え全盛時代をきちんと見据え、そこで確実に売れる声優を養成しようとしていた。
これは、学院としては当たり前のことである。

それは分かってはいたものの、当時の私は、どうしてもそれに耐えることができなかった。
「なんともったいない!どうかしている」と思われるだろう。
しかし、女らしく振る舞わなければならないことがとにかく本当に嫌だったのである。

そうして学院を半ば逃げるように退学し、しかも引き止めようとしてくれた学院長のご好意を、私は無駄にした。

かくして、声優への道を断念した私は、バイト三昧の毎日を送ることとなった。
微妙にモヤモヤした気持ちを抱えながらも、晴れて自由の身になれたことに、少しだけ喜びを感じていた。

が。

ここから約5年後。

私はプロの声優として、念願の吹替え現場に立つことになるのだが….

そ  れ  は  ま  た 
別  の  お  は  な  し 。

↑ナレーション/森本レオ ww

~おわり~

【外伝:15年振りに勝田学院長と再会したお話】

長いです。お暇な時に読んでくださいネ。

それは2013年の9月。

キッカケは、意外にもさらりとやってきました。
当時、NHK韓国ドラマ「馬医」という番組の収録現場で一緒だった、テアトル・エコーの役者・澤山佳小里ちゃんも、実は勝田出身ということが判明しまして!
当時の懐かしい話で盛り上がったのはもちろん、私が逃げるように勝田を辞めたこと、そして、勝田先生にもう一度お会いして、一言でいいからお詫びを言いたいと思っているという話も聞いてもらったんです。

で、ある日突然、

はち(澤山佳小里ちゃんのアダ名)「あーちゃん!私さ、勝田(の生徒さん達)に舞台のチケットを売りに行くんだ♪よかったら一緒に来ない?」

ヒグチ「ぇ….ぇぇえっ…!? ま、ま、まじすかっ…?Σ(゚Д゚;)」

はち「なんか勝田先生に会いたいとか前に言ってたよね??行こうよ♪ 授業が終わった後なら会ってもらえるんじゃないかな??」

ヒグチ「あ…えと…わ…….わ…かった!!(゚A゚;)ゴクリ こ、こんな機会、滅多にないもんね…!(゚A゚;)ゴクリ」

いやぁ!突然のお誘いだったので一瞬どうしようか、逃げようか、アタヽ(д`ヽ彡ノ´д)
ノフタ とか思ったんですが、でもここで逃げたら、私この先一生、勝田先生にお詫びができない気がする!と思い、勇気を振り絞ってはちと一緒に学院に行くことに決めました。

なにせ15年振りです…。

しかも逃げるように辞めてしまって、一体どんな面下げて会いに行くんだよ、と。
もう心配で心配でたまりませんでしたが、でも、15年の間、本当にずーーーーっと気になっていたのです。
面と向かってお詫びをせぬまま、不義理を働いたことを。
多分、勝田先生は私のことなど覚えてはいないだろうけれども、それでも、ケジメはつけたい。
そうじゃないと、私はこの先仕事を続けていけないような気がしました。
だって、勝田でプロの基礎を身に付けることができたから、今の私がいるわけだし。
そんなことをグルグルグルグル考えていたところへ、はちが一言。

「あ、一応事務の方には事前に話しておくけど、本人からもちゃんと連絡した方がいいかもね♪」

えーーーーーーーーー!!!!。゚(゚´Д`゚;)゚
わ、私も、でで、電話するんスかーーーーー!!(゚∀゚ノ;)ノ


ということで。
緊張で荒ぶる胸を抑えつつ、私は15年振りに、学院の電話番号をゆっくりとプッシュしたのです…。

そしてやってきた面会当日。

事前の電話連絡で、すでに残りMP(精神力)が僅かとなってしまった私(笑)
いやいや、この後が本番だから!!(´゚д゚`;)と、自分で自分を叱咤激励しつつ、ついに、勝田学院長との面会の瞬間が訪れました。

面会場所は、学院の3階にある事務所の中の一室。
周りの風景や扉の感じは、当時とほとんど変わっていませんでした。(扉の色が変わったくらい)

ノックをして中に入ると、事務を担当している元卒業生さんが笑顔で出迎えてくれました。
そして、授業が終わるまでのしばらくの間、はちとその卒業生さんと3人で談笑していたんですが、私はもうとにかく気が気じゃない!(苦笑)
緊張で喉はカラッカラになるし、話が頭に入ってこなくてヘラヘラ笑ってるだけだしw
どうしようどうしようと思っているうちにも授業は終わってしまい、はちはさっさと下の教室へチケットを売りに行ってしまいました。

そして、残された私は奥の部屋に通され、応接間に座ってしばらく勝田先生を待つことに。

待つこと…..どれくらいだったでしょうか。
下の教室から勝田先生が帰ってきました…!
そして、私のいる応接間の前をするりと通りぬけると、そのまた奥にある学院長室(?)へ。

え、素通り?(; ゚д゚)
私、ゴクリと生唾を飲み込みながらチラリと横目で先生を追う。
そんな私の様子を見て、事務の方が笑いながら「すぐいらっしゃいますから」と声を掛けてくれました。

そのすぐ後。
勝田先生はするすると応接間にいらっしゃって、軽く笑みを浮かべながら「どうも」と小さく挨拶をしてくださいました。
私、まるで軍隊のようにピシっと立ち上がり、「おはようございます… !」と、15年振りに勝田式のご挨拶。

最初のうちは、まともにお顔が見られませんでした。
なぜって、あまりにも昔と変わっていなかったからです。
そりゃ、当時に比べれば更におじいちゃんぽくなっているのかもしれませんが、私には、ほとんどお変わりないように見えました。
そこで突然、当時の記憶が蘇りました。
それは、「勝田先生は髪の長い女性がお好き」という情報でした。

なんでこんな時にそんなことを思い出すwww

とか思いながらも、「あ、今アタシ髪長いわ!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶」とかどうでもいいことを考え…ってかそんなことよりもだな!!まず!!ずっと言いたかったことを言わなければ!!と。
そこで、改めて1から事情を説明し、やっとのことで私は、面と向かって勝田先生にお詫びをすることができたのです。

ちなみに、私が泣きそうになるのを堪えながら事情を話し、「あの時は本当にすみませんでした…!」と言った時の先生の反応。


勝田先生「 あ ぁ 、 そ う (´ω`) 」

ヒグチ「 あ . . . は い . . . ( ゚д゚)」

意 外 に も . . . 
ア ッ サ リ で し た (笑)

まぁ…そんなもんですよね。

その後は、私の同期の話をしたり、勝田先生の同期の方(主に大塚周夫さんや中村正さんなど)の話をしたり、現在の業界の問題点などについても色々と聞かせてくださいました。
お話を聞いている最中、私は、本当に色んな事を思い出していました。

最初に勝田声優学院のサマースクールを受講した時のこと。
入学試験に合格して上京してきた時のこと。
バイトがなかなか見つからなかった時のこと。
学院内の選抜チームに入れた時のこと。
(※ ↑今はそういう制度はないと思います)
喉が枯れるほど滑舌をやっていた時のこと。
「退学させてください」と手紙を書いた時のこと。
そして、いつの間にかプロの声優になって、ついに現場に立てた時のこと。

ほんとにこれまでの色んな出来事が、くるりくるりと頭の中を巡っていました。
そして、「あぁ、ここ(勝田声優学院)で学べて本当に良かったなぁ」 と。
ここが、声優としての私の原点なのだなぁ と。
しみじみ思ったのです。

お話を始めてから1時間弱…くらいだったでしょうか。
先生は「またいつでもいらっしゃい(´ω`)」と言ってくださり、事務の方と一緒にお帰りになりました。
そういえば昔も、こんな風に先生の背中を見送っていたっけ。
今度はいつここに来られるだろうか。

昔とほとんど変わらない学院内の空気を味わいつつ、私もその場を後にしました。

勝田先生…。
とってもにこやかっだったけど、やっぱり今でも授業はスパルタなのかなぁ…(´ω`)

「優勝劣敗!」
「向いてないから辞めなさい!」
「これくらいできて当たり前!」
「あぶらあ「け゚」!!! 」←鼻濁音(油揚げ)
(↑授業を受けた人なら分かる)

今、声優を目指している若い人達に伝えたい。
「本気になったら勝田へ」

  注:私は学院の回し者ではアリマセン(笑)

〜終わり〜

• これを書いた後、2015年の3月に勝田声優学院は閉校しました。
勝田先生も、もうかなりご高齢でいらっしゃいましたから仕方のないことなのでしょう(´・ω・`)
それでも寂しいですね。それに、こんなに厳しく、そして親切な専門学校は勝田以外にないと思うので、実に残念でなりません。